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植村直己冒険館
お問合せ:boukenkan@ city.toyooka.lg.jp
〒669-5391
兵庫県豊岡市日高町伊府785
TEL:0796-44-1515 FAX:0796-44-1514 |
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2005「植村直己冒険賞」受賞者の紹介 |
永 瀬 忠 志 さん 【ながせ ただし】(1956年生) |
10回目を迎えた2005「植村直己冒険賞」は、極地、山岳、海洋、空等の137件に及ぶ冒険情報の中から、植村直己さんの精神を受け継ぎ、人々に夢と希望を与え、勇気ある行動をされた永瀬忠志さん(大阪市東住吉区在住)に決定しました。
永瀬忠志さんは、リヤカーを引き世界各地を自分の足で踏破されました。これまでの踏破距離は、4万3千kmに到達し、ちょうど地球一周分(赤道距離)を超える距離となりました。
≪歩き始めたきっかけ≫
大学2年生の冬、バス車掌のアルバイトをしていて、中学生のスキー一泊旅行に同行した。民宿に着いて夕食後、中学三年の女の子と旅について話をしていた。その時「今度また、どこか歩くの?」と聞かれ、つい、「今度は世界だ!」と言ってしまった。女の子はケラケラ笑っていたが、「今度は世界だ」と言った、この一言が頭から離れなくなってしまった。この約束を果たしたいと思った。この一言から私の身体と心は「世界を歩く」という目標に向かって突進を開始した。<著書「Go!!豪大陸 田吾作号の冒険」から抜粋>
≪冒険の概要≫
1975年から30年かけリヤカーを引き、世界各地を徒歩踏破。それまでの距離は4万107キロになり、地球赤道一周距離に到達した。2005年は、再度リヤカー(田吾作ジュニア3号)を引き、1975年に行った日本縦断と同じルートで、お世話になった人へのお礼を兼ねて、北海道から鹿児島まで3,000キロを79日かけて踏破した。
≪選考の経過≫
1975年に日本縦断をはじめてから30年にわたり、リヤカーを引き世界各地を歩き続けた。特にアフリカ大陸縦横断の際には、リヤカーごと盗難に会い冒険を断念せざるをえなかったが、7年後に再度同じルートを歩き成功させた。2005年には、最初に日本縦断を行ったルートと同じルートを歩き、30年前にお世話になった人を再び訪ね当時のお礼を言うなど、冒険中の交流も大事にしている。以上のことなどが評価され、受賞となりました。 |
年 |
場 所 |
距 離(km)) |
日 数(日) |
1975年 |
日本徒歩縦断 |
3,200 |
70 |
1978〜79年 |
オーストラリア大陸徒歩横断 |
4,200 |
100 |
1982〜83年 |
アフリカ大陸徒歩横断 |
6,700 |
216 |
1987年 |
韓国徒歩縦断 |
466 |
11 |
1988年 |
スリランカ徒歩横断 |
360 |
9 |
1988〜89年 |
台湾徒歩縦断 |
536 |
14 |
1989〜90年 |
アフリカ大陸徒歩横断・サハラ砂漠徒歩縦断 |
11,100 |
376 |
1992年 |
ジャワ島徒歩横断…成らず |
253 |
7 |
1995年 |
マレー半島徒歩横断 |
408 |
11 |
1996年 |
南インド徒歩横断 |
562 |
18 |
1997年 |
パラワン島徒歩縦断 |
414 |
11 |
1998年 |
モンゴル徒歩縦断 |
864 |
25 |
1999年 |
タイ北部徒歩横断 |
596 |
15 |
2000年 |
タクラマカン砂漠徒歩縦断 |
590 |
11 |
2001年 |
紀伊半島徒歩横断 |
155 |
5 |
2001年 |
カラハリ砂漠徒歩縦断 |
591 |
14 |
2003〜04年 |
南アメリカ大陸徒歩縦断 |
8,800 |
266 |
2004年 |
沖縄島徒歩一周 |
312 |
8 |
2005年 |
日本徒歩縦断 |
3,000 |
79 |
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30年前のたびでお世話になった人たちにお礼を言いながら再び日本を歩いた。
(2005年8月、日本徒歩縦断中、大分県にて)
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サハラ砂漠の砂にめり込んだ重いリヤカーを前から引きずるように引く。
(1990年3月、サハラ砂漠徒歩縦断中、アルジェリ アにて) |
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