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お問合せ:boukenkan@
city.toyooka.lg.jp
〒669-5391
兵庫県豊岡市日高町伊府785 
TEL:0796-44-1515 FAX:0796-44-1514
 


歴代受賞者の紹介

1996「植村直己冒険賞」受賞者(第1回)
尾 崎  隆 氏
(1952年生まれ)香港在住(三重県亀山市出身)
授賞式の模様
冒険風景
■冒険名
  「幻の山ミャンマー最高峰カカボラジ初登頂」
■冒険内容
 ミャンマー北稜、中国との国境ヒマラヤ山脈の一角に位置するこの国の最高峰でもあり未踏峰であるカカボラジ山(5,881m)。山の写真すら公表されず資料が皆無に等しい山に、本人とミャンマー人のナンマ−・ジャンセンと共に最北の町プタオから1996年7月25日に登頂を開始。泥沼、ガケ崩れの跡やヒル、ブヨ、マラリア蚊を含めた吸血虫などが生存するジャングル250キロの行程を約1ヵ月かけて歩きベースキャンプに8月20日到着する。8月21日からルート工作開始。9月15日午前6時30分頂上アタックを開始し、午後3時12分頂上に立つ。
1997「植村直己冒険賞」受賞者(第2回)
米 子 昭 男 氏
(1947年生まれ)大阪府堺市在住
授賞式の模様
冒険風景
■冒険名
 「左腕を失うハンディを乗り越えヨットで大西洋・
  太平洋単独横断」
■冒険内容
 海が好きで23歳の時、北洋トロール漁船の操業中の事故で左腕を失う。漁船には乗れないが、ヨットでなら自由に海に出ることが出来ると思い、小型船舶の操縦士免許の取得を試みたが片腕の肘がないため取得できず、「片腕でも大丈夫なことを自ら証明してみせよう」と、免許の不要なフランス船籍の外国船として出港することを決める。1995年4月フランスで25ftのヨットを購入。出港地のフランスでヨットの操船技術を2カ月間でマスターする。1995年6月15日ラ・ロッシェル港を出港し、カナリア諸島から大西洋を横断、パナマ運河を通って太平洋に抜け、南太平洋の島々を巡って大阪府岬町の淡輪ヨットハーバーに1997年5月12日に入港し2年かけ約3万キロの航海を成し遂げた。
1998「植村直己冒険賞」受賞者(第3回)
関 野 吉 晴 氏
(1949年生まれ)東京都調布市在住)
講演会の模様
冒険風景
■冒険名
  「人類の旅5万キロをたどるグレートジャーニー
   の冒険」
■冒険内容
 人類は、700万年前、東アフリカに誕生したとされている。百数十万年前、アフリカを飛び出し、アジアに広がった。やがて極北の地を経て、ついには南米大陸の最南端パタゴニアに達するに至った。関野さんは南米大陸最南端パタゴニアを出発点として、アメリカ大陸を北上し、ベーリング海峡を横断し、ユーラシア大陸を横切り、人類誕生の地である東アフリカまで、5万キロ以上あるこの大遠征を逆ルートに、土地の先住民と接しながら、自らの脚力と腕力だけでたどる旅を続けている。1999年10月4日には、シベリアからモンゴルの首都ウランバートルに到達した。グレートジャーニーと称するこの壮大な冒険は、21世紀にかけて続行され、このあとヒマラヤを越えてインドを経由して西に進路をとり、アフリカへ渡ってゴールを目指す。

関野吉晴公式ホームページ
1999「植村直己冒険賞」受賞者(第4回)
大 場 満 郎 氏
(1953年生まれ)山形県最上郡最上町在住
授賞式の模様
冒険風景
■冒険名
  「史上初の北極海単独横断と南極大陸約4,000
   キロの単独横断」
■冒険内容
 たった一人で歩いて北極海の横断を目指し、1997年2月ロシア・コムソモレツ島のア−チチェスキ−岬から出発し、5月3日には北極点を通過し、同年6月24日、1,730キロ離れた最終目的地のカナダ・ワードハント島に到達した。大場さんは、1994年から毎年、北極海の単独徒歩横断に挑戦し続け、今回が4回目。特に1995年には凍傷のため、両足の指全部と手の指の一部を失った。 さらに、大場さんは、「もっと地球を肌で感じたい」と夢が膨らみ、南極大陸単独横断に挑んだ。史上初めて両極の大陸と海洋単独横断を目指し、南極横断に挑戦していた冒険家大場満郎さんは、1999年2月15日、99日間に及ぶ3,824キロの単独横断に成功した。

■大場満郎 地球縦周り一周の旅
        第3弾 Global EdVenture
2000「植村直己冒険賞」受賞者(第5回)
神 田 道 夫 氏
(1950年生まれ)埼玉県川島町在住
講演会の模様
熱気球試乗体験の様子
■冒険名
 「熱気球でヒマラヤ・ナンガパルバット(8,125m)  越えに成功」
■冒険内容
 テレビ番組で熱気球がニュージーランドのクック山を越えるのを観て感動し、気球に興味を持った。2年後には、気球のライセンスを取得し、1988年に12,910mの高度世界記録を、1994年に2,366.1キロの長距離世界記録を、1997年にこれまでの記録を9時間伸ばして50時間38分の滞空時間世界記録を樹立し、未知の世界での飛行を求め続けている。 さらに、神田さんは、「ぜひすばらしくダイナミックな山越えを行い、大きな感動を求めたい」と熱気球「マンボウ号」で2000年10月14日にパキスタン東部のナンガパルバット峰(標高8,125m)越えに挑み成功した。熱気球による8,000m級の山越えは、日本人初、世界でも2例目の快挙となった。いつかはエベレスト越えに挑戦したいと夢を膨らませている。
2001「植村直己冒険賞」受賞者(第6回)
中 山 嘉 太 郎 氏
(1957年生まれ)山梨県一宮町在住
講演会の模様
冒険風景
■冒険名
  「中央アジア・シルクロードを駆け抜ける」
■冒険内容
 シルクロードをテントも持たずに野宿や地元の人の家、警察署などの人たちにお世話になりながら走って旅をする「シルクロード走り旅」に挑戦した。2000年5月に、思い切って長年勤めた会社を退職し、6月に中国に渡って西安を出発した。ウルムチまでの2,675キロを53日間で走り切り、一旦旅を終えた。その後、南米のパンパ平原、アタカマ砂漠、アンデス高地を走り、2001年6月に再びウルムチへ戻った。中国西域を走り、12月23日にシルクロードの終着駅であるトルコイスタンブールに到着した。現地に溶け込みたいと言葉をその都度学び、一足の靴を修理と補強を加えながら、たった一人で旅した距離は9,374キロ、205日間の走り旅を完結させた。
2002「植村直己冒険賞」受賞者(第7回)
山 野 井 泰 史 氏、妙 子 氏
東京都奥多摩町在住
講演会の模様
冒険風景
■冒険名
  「ギャチュンカン峰(7952m)の登頂に成功」
■冒険内容
 「日本最強のクライマー」と呼ばれる山野井泰史さんは、妻の妙子さんとともにギャチュンカン峰北壁の登頂に挑んだ。50〜60度の雪壁をノーザイルで登り、7500mで露営。妙子さんは体調不良により登高を断念したが、そのまま泰史さんが登頂に挑み、登頂に成功した。不穏な雲行きから直ちに下山、妙子さんと合流し、妙子さんの確保で泰史さんがハーケンを打ちながら下降、6本しかないハーケンを妙子さんが回収しながら下降した。下山中に雪崩が発生、妙子さんが吹き飛ばされた。両眼を負傷した泰史さんは、手袋を外して素手でリスを探し、妙子さんのもとへ向かった。疲労困憊した泰史さんをみて妙子さんは、棚場を作り露営。2人の冷静な判断と、息の合った行動により、生還を果たした。
2003「植村直己冒険賞」受賞者(第8回)
安 東 浩 正 氏
(1970年生まれ)神奈川県藤沢市在住
授賞式の様子
冒険風景
(凍結したバイカル湖を行く)
■冒険名
  「日本人初の厳冬期シベリア単独自転車
   横断」
■冒険内容
 高校時代に映画「植村直己物語」を観て植村直己に憧れる。大学卒業後、中国雲南省雲南大学二留学中、冬季東チベットを自転車で横断、翌年にはさらにきびしい西チベットを横断する。その後シベリアの情報収集、トレーニングを始め、2002年1月に冬季のアラスカ横断、4月には北極海から北米最高峰マッキンリーに登り、氷点下30度を体験。多くのツーリングと極寒を体験し、2002年9月ロシアムールマンスクを出発、オホーツク海に面したマガダンを目指した。途中、降雪によりスパイクタイヤに交換、トムスク郊外を通過した際、今回の冒険の最低気温氷点下42度を記録。凍死を恐れ眠れない日もあった。2003年1月中旬には凍結したバイカル湖を横断。2003年5月にはマガダンに到着し冒険を終了した。走行距離14,927キロ、248日間。冒険中植村直己の直筆サインをお守りにしていた。

■ホームページ→HIMALAYAN CYCLIST
2004「植村直己冒険賞」受賞者(第9回)
渡 邉 玉 枝 さん
(1938年生まれ)山梨県富士河口湖町在住
授賞式の様子
冒険風景
(8000m峰5座目となる
ローツェ頂上にて)

■冒険名
  「女性世界最高齢で8000m峰5座目となる
   ローツェに登頂」
■冒険内容
 50歳からのヒマラヤ山脈8000m峰登山に挑戦した。03年には世界最高峰エベレストに登頂し、63歳の女性世界最高齢登頂記録達成。04年5月15日世界第4位の高峰ローツェ(8516m)に西面ルートを経ての登頂。65歳でのローツェ登頂はもちろん世界最高齢記録だが、8000m峰登頂数は、チョー・オユー(8201m)、ダウラギリ(8167m)、ガッシャブルムU峰(8035m)、エベレスト(8848m)に続いてこれで5座目となりこれは女性の8000m峰登頂数としては世界でも5位タイとなる(ただし、故人を除く)。
2005「植村直己冒険賞」受賞者(第10回)

永 瀬 忠 志 さん
(1956年生まれ)大阪市東住吉区在住
授賞式の様子
冒険風景
(サハラ砂漠進む)
■冒険名
  「リヤカーを引き世界各地を徒歩踏破
  4万3千キロ」
■冒険内容

 1975年から30年かけリヤカーを引き、世界各地を徒歩踏破。合計距離は4万107キロになり、地球赤道距離に相当する距離となった。
 2005年は、再度リヤカー(田吾作ジュニア3号)を引き、1975年に行った日本縦断と同じルートで、当時お世話になった方へのお礼を兼ねて、北海道から鹿児島まで3000キロを79日かけて徒歩踏破した。
 
2006「植村直己冒険賞」受賞者(第11回)

小 松 由 佳 さん
(1982年生まれ)東京都在住
授賞式の様子
冒険風景
(登頂成功を無線で報告)
■冒険名
  「K2に日本人女性初登頂」
■冒険内容
東海大学K2登山隊は、創部50周年を記念して、パキスタンと中国国境の高峰、世界でも最も困難で「非情の山」といわれる世界第2位のK2(8611m)に挑戦。 
 6月20日、ベースキャンプ(5150m)を設置。1954年にイタリア隊が初登頂した南東稜より少し南側の南南東支稜から挑んだ。 悪天候で外国隊が相次ぎ撤退する中、青木達哉隊員(21歳・史上最年少の登頂記録)とともに、頂点に登り詰め、日本人女性として初めての登頂者となった。

■関連リンク→東海大学K2登山隊2006 
2007「植村直己冒険賞」受賞者(第12回)

野 口  健 さん
(1973年生まれ)東京都在住
授賞式の様子

冒険風景
(チョモランマ頂上にて)
■冒険名
 「エベレストに北稜(中国側)から登頂成功」
■冒険内容
 1997年、1998年にそれぞれ中国側・ネパール川エベレスト登頂をめざすがいずれも撤退を余儀なくされた。1999年、3度目の挑戦になるネパール側の登頂を目指し成功し、7大陸最高峰全てに登頂し、あわせて最年少登頂記録(当時)を達成した。
 しかし、自分の気持ちの中で、中国側から登頂できなかったことに満足できず、2007年春に再挑戦しようと決意。2007年5月15日午前8時10分、中国側からエベレストに登頂成功した。
 一方、ヒマラヤを目指すことはもちろんの事ながら、キャンプ地等での清掃活動にも取り組み、成果を上げている。

■関連リンク→野口健ホームページ
 
2009「植村直己冒険賞」受賞者(第14回)

中 西 大 輔 さん
(1970年生まれ)兵庫県在住
授賞式の様子

冒険風景
(スーダンの砂漠にて)
■冒険名
 「11年かけ自転車で地球2周15万キロ」
■冒険内容
 サイクリングが好きだった父の影響を受け、自転車で遠出するようになる。大学時代には、サイクリング部に所属し、日本各地や海外20ヵ国をツーリング。そこで、もっと素晴らしい世界を見たい、人々に会いたいと考えるようになる。
 大学卒業後、就職し、6年間の資金を貯め、1998年7月23日、夢であった「6大陸走破、自転車で世界一周」実現の旅に出る。
 冒険はアラスカから始まり、人知れず黙々と11年の歳月をかけて地球2周、15万1849kmの距離を1台の自転車で走破し、訪問した国は130ヶ国にのぼる。
 ペダルをこぎ続け、行く先々で出会った人たちとの平和交流を行い、韓国を最後に日本に渡り、2009年10月11日、大阪で旅を終えた。

■関連リンク→中西大輔ホームページ
 
2010「植村直己冒険賞」受賞者(第15回)

栗 秋 正 寿 さん
(1972年生まれ)福岡県在住
授賞式の様子

冒険風景
(2010ハンター
2900m地点)
■冒険名
 「中央アラスカ山脈83日間に及ぶ
  ハンター冬季単独登頂に挑戦」
■冒険内容
 15歳の時に北アルプスを舞台にした映画を見て感動し、高校山岳部で登山を始める。大学山岳部でマッキンリー(6194m)に登頂し、夕日に映えるフォレイカー、ハンター、マッキンリー北峰の神々しい姿を見て運命的な出会いを感じる。
以来、アラスカに魅せられ、1998年、世界で4人目、史上最年少となるマッキンリー冬季単独登頂に成功。
下山後、リヤカーを引き、徒歩でアラスカ縦断1400kmを旅する。2007年、世界初となるフォレイカー(5304m)の冬季単独登頂に成功した。
2010年、ハンター(4442m)冬季単独登頂を目指し、5度目の挑戦を行い、雪洞でひたすらチャンスを待ったが、登頂には至らなかった。自称「山の旅人」のアラスカ山脈冬季単独行への挑戦は今後も続いていく。
 
■関連リンク→栗秋正寿ホームページ
2011「植村直己冒険賞」受賞者(第16回)

(写真提供:月刊KAZI)
斉 藤 実 さん
(1934年生まれ)東京都在住
授賞式の様子

冒険風景
(横浜港帰港時)
写真提供:月刊KAZI
■冒険名
 ヨットで単独「最高齢(77歳)・最多(8回)」
 世界一周達成
■冒険内容
 39歳からヨットを始め、57歳で初めて世界一周を達成。
 2008年、“チャレンジ8”と名づけた8度目のヨット単独世界一周(無寄港西回り)に74歳で挑戦。これまで自身が持つ「最高齢でヨットによる単独無寄港世界一周」「単独最多世界一周」を塗り替えるため、さらに非常に難易度の高い西回りのコースを出発。艇トラブルや自身の事故などに見舞われ、寄港を余儀なくされ、無寄港は叶わなかったが3年をかけた西回り単独世界一周を達成した。
 
■関連リンク→
ニコル・グループホームページ「Saito Challenge8」
サイトウ・チャレンジ事務局
2012「植村直己冒険賞」受賞者(第17回)

(撮影:中島ケンロウ)
(写真提供:竹内洋岳プロモーション事務局)
竹 内 洋 岳 さん
(1971年生まれ)東京都在住
授賞式の様子
■冒険名
 14Project(ダウラギリに無酸素登頂し、8000m峰14座完登)
■冒険内容
 高校、大学で山岳部に所属し登山の経験を積む。20歳で初めてヒマラヤの8000m峰での登山を経験。
1995年マカルー(8463m)登頂。1996年エベレスト(8848m)とK2(8611m)連続登頂。2001年からは各国のクライマーと少人数の国際隊を組み、酸素やシェルパを使用せず、アルパインスタイルを積極的に取り入れた速攻登山スタイルを取り入れる。2007年にパキスタンのガッシャブルムII峰(8035m)で雪崩に巻き込まれ、生命の危機に陥る。しかし、わずか1年後には、事故のあったガッシャブルムII峰へ再び挑み登頂に成功する。2012年5月、世界に14座ある8000m峰の内、自身14座目となるダウラギリへ登頂。21年をかけて日本人初となる8000m峰14座完全登頂という偉業を達成した。
■関連リンク→登山家・竹内洋岳公式ブログ
2013「植村直己冒険賞」受賞者(第18回)

田 中 幹 也 さん
(1965年生まれ)東京都在住
授賞式の様子
■冒険名
 厳冬期カナダで自身の可能性に挑み続け
19年・2万2千キロ踏破
■冒険内容
中学生の時より登山を始め、難度の高いクライミングに挑戦。25歳の時クライミングに限界を感じ、冒険の世界に足を踏み入れる。1995年から18回カナダの内陸を舞台に自分自身に挑戦し続ける。
 2013年は、カナダ中央平原南部200キロを山スキーで踏破。1995年初めて冬のカナダに足を踏み入れてから毎冬のように訪れ、山スキーや自転車、徒歩による踏破を
続け、踏破距離は約2万2千キロにも及ぶ。

2015「植村直己冒険賞」受賞者(第20回)

本 田 有 香 さん
(1972年生まれ)カナダ・ホワイトホース在住
授賞式の様子
2015年3月 アイディタロッド
(写真提供:佐藤日出夫)
■冒険名
 極北の原野で犬たちと暮らし、
 マッシャー(犬ゾリ使い)となる夢を実現
  〜北米二大犬ゾリレース完走〜
■冒険内容
1994年、大学時代にオーロラを見に行ったカナダで犬ゾリに出会う。一旦就職するが、1998年犬ゾリ使い(マッシャー)になるため単独カナダに渡る。
その後、カナダ、米アラスカで17年間修行を重ね、2010年にはカナダ永住権を獲得。カナダ・ホワイトホースの森を自力で切り拓き、自分の住む小屋と26頭の犬たちの小屋を作り、犬ゾリトレーニングを続ける。

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